「え?今日だけで〇〇万円も減ってる?!」
かつての僕なら、心臓が口から飛び出す勢いで慌てふためいていたでしょう。ディスプレイに表示された真っ赤な数字を見ては、胃のあたりがキリキリと痛み、夜も眠れない日々を過ごしていました。
でも、今の僕の心は驚くほど穏やかです。投資額が1000万円を超えたあたりから、評価額の変動に全く動じなくなったのです。なぜなのか。
あの頃の僕:評価額に一喜一憂、胃が痛い日々
僕がインデックス投資信託を始めたのは、2018年のことでした。初めて証券口座を開設し、ドキドキしながら数万円を入金した日のことを覚えています。それはまるで、未知の扉を開けるような、期待と不安が入り混じった感覚でした。
ところが、現実は甘くありませんでした。市場は常に変動します。初めて数十万円単位で評価額がマイナスになった時は、僕は文字通り血の気が引きました。「たった数日で、給料の〇カ月分が消えた…!」と絶望し、スマホを握りしめては何度も評価額を更新していました。夜中に目が覚め、ついついスマホに手が伸びてしまう。仕事中にしょっちゅうトイレでスマホから評価損益を確認してしまう。そんな日々が、しばらく続きました。
転換点:資産1000万円の壁、そして悟りの境地へ
やがてそんな僕にも、転換点が訪れます。地道な積み立てと、幸運にも市場が好調だったおかげで、僕の資産は少しずつ増え、ついに1000万円の大台を超えました。
「おお、ついに1000万円か!」
…と、感動に打ち震えるかと思いきや、意外なほど拍子抜けしたのを覚えています。「あれ?こんなもんか?」というのが正直な感想でした。もちろん、達成感はありました。しかし、それ以上に感じたのは、「もう僕の給料では太刀打ちできない規模だな」という、ある種の達観でした。
僕の給料は、残念ながら平均以下です。就職氷河期世代の悲哀とでも言いましょうか、コツコツ働いても、なかなか給料は上がりません。(一方で新卒採用者の初任給はどんどん高くなってきていますね)そんな僕が、日々の労働で得られる金額と、市場の変動で一瞬にして動く金額を比較した時、ある種の諦め…いや、悟りが生まれたのです。
「ああ、これはもう、僕のコントロールできる範疇を超えているな」と。
それ以来、市場の変動を「季節の移ろい」のように感じられるようになりました。春には花が咲き、夏には蝉が鳴き、秋には紅葉し、冬には雪が降る。それと同じように、市場も上がったり下がったりする。ごく自然なことだと。
なぜ動じなくなったのか?:僕なりの3つの考察
なぜ、僕は評価額に動じなくなったのでしょうか。僕なりの考察はこんな感じです。
規模の麻痺:給料では太刀打ちできない「誤差」の領域へ
これは先ほども少し触れましたが、資産が1000万円を超え、さらに最近3000万円に到達した今、市場の変動額が僕の給料やボーナスの感覚からかけ離れすぎてしまった、という点が大きいです。
例えば、S&P500が1%動けば、僕の資産は30万円動きます。僕の月給の何日分、いや、何週間分にも相当する金額が一瞬で増減するわけです。こんな金額を、いちいち「うわー!」とか「やったー!」とか言っていたら、精神が持ちません。もはや、僕の生活感覚からすれば「誤差」の領域に入ってしまったのです。
「ああ、また今日は給料の半分くらい減ったな。まあ、明日には戻ってるかもしれないし、増えてるかもしれないし。どっちでもいいか」
こんな風に思えるようになったのは、我ながら成長したな、と感じます。これは決して諦めではなく、むしろ「受け入れた」という感覚に近いのかもしれません。
時間軸の変化:子供たちの成長と共に、未来を見据える
もう一つの大きな理由は、僕の「時間軸」が変化したことです。投資を始めた当初は、どうしても短期的な値動きに目が行きがちでした。しかし、今は違います。僕には子供が3人います。彼らが大人になるまで、あと何年あるでしょうか。その間、市場は何度も浮き沈みを繰り返すでしょう。
僕が目指すのは、サイドFIREです。平日の昼間に、会社に縛られることなく、自分の力で稼ぐ術を身に着けなければなりません。自分の好きな仕事で自分の裁量でお金を稼げるようになる。そんな、ささやかな、でも確かな夢があります。そのためには、短期的な値動きに一喜一憂している場合ではありません。
僕の投資は、子供たちの成長と同じです。今日、身長が1mm伸びたか、体重が100g増えたか、なんて毎日気にしません。それよりも、数年後、数十年後に、健康で立派な大人になってくれることを願って、日々、食事を与え、愛情を注ぎ、見守る。投資もそれと同じです。長期的な視点を持つことで、目の前のノイズが気にならなくなりました。
経験値の蓄積:「必ず戻る」という確信
そして、何よりも大きかったのは、僕自身の投資経験値が積み上がったことです。2018年に投資を始めて以来、僕はコロナショック(2020年)や、その後の急激な利上げ局面(2022年)など、いくつかの大きな市場の調整を経験してきました。
自分にとっての初めての大幅下落でもあったコロナショックの時は、資産がみるみる減っていくのを目の当たりにして、「こ、これが巷でいう投資握力の試される局面なんだな…」と頭では理解していても感情が追いついて来なかった覚えがあります。しかし、市場は必ず回復し、そしてそのたびに、資産は過去最高を更新してきました。
この経験が、僕に「市場は必ず戻る」という確信を与えてくれました。もちろん、未来は誰にも分かりません。しかし、過去の歴史が教えてくれるのは、市場は長期的に見れば成長し続けてきた、ということです。この確信があるからこそ、目の前の下落も「ああ、またバーゲンセールが来たな」と、むしろ冷静に、あるいは少しばかりニヤつきながら見守れるようになったのです。
動じない心の効能
評価額に振り回されなくなったことで、僕の生活には思わぬ良い影響が出てきました。
給料平均以下の僕にとって、会社は生活の糧を得るための場所であり、決して夢を追い求める場所ではありません。以前は、会社の理不尽な評価や、上司の無意味な指示に腹を立てることが多々ありました。しかし、今は違います。
「まあ、会社は会社。僕の資産は僕の資産。別物だからな」
そう思えるようになった途端、心の余裕が生まれました。会社の人間関係も、以前ほど気にならなくなりました。まるで、会社という舞台で演じている自分の役を、一歩引いたところから客観的に見ているような感覚です。
まとめ
今年、新NISAの始まりとともに初めて投資を始めた人もいることでしょう。もしかしたら、評価額の変動に一喜一憂しているかもしれません。でも最初は皆そこから。焦らず、コツコツと、それぞれのペースで資産形成を続けていき、平行して自分のできる事をする日々を送る事、地味ですがこれしかないと思っています。